暮らすように旅をする。そんな疑似体験ができる一冊。
北緯14度。そう聞いてどんな地域を思い浮かべるだろうか。
正直、私は思いっきり勘違いしていた。何をどう血迷ったのか、「あ、なんか涼しそう」そう思って手にしたのだ。
いやいや。14度ですから。0度が赤道って知ってました???っと突っ込まれても仕方がないくらいの勘違い。
物語の舞台はセネガルだった。思いっきりアフリカだった。涼しさとは対極にあるような国である。
そんなわけで、なんだかあまり気のりせずに読み始めたのだが・・・。
いやはや面白い。初っ端から読んでいるこちらが心配になるくらい、こき下ろされまくっている編集者。(そんな悪口言えるほど仲が良いということか。)セネガルの銀行員も日本大使館の奥様も、彼女の手でコテンパンにやられている。見ていて、もとい読んでいて、実にすがすがしい。
そんな媚びない動じないたくましい作者の2か月に及ぶセネガル滞在の記録。片言のフランス語から始まって、帰るころには日本語で言葉を紡ぐのが難しいほどになっている。その順応力に脱帽。
体力諸々自身のない私はこれまでアフリカを旅したことはないし、しようと思ったのも一度だけ。(ちょうどラマダンの時期と重なるということで、結局、やめてしまった。)旅の目的地としてはもっとも縁遠いところだったのだが、本書を読んで、ぐっとその距離が縮まった。セネガルにはぜひいつか、行ってみたい。(でも、暑さにうんざりしている今ではない。)作者が絶賛するところのセネ飯を食らいたい。下ネタ好きのハンサムなセネガル人に会ってみたい。彼女の魂を揺さぶった、この旅のきっかけでもあるドゥドゥの音楽を聴いてみたい。
別に彼女は体当たり取材をしているわけではない。ただそこにあるひと時滞在して、はじめはゆっくりと最後はもう強力な吸引力でセネガルに暮らす人々と一体化している。それは一つの才能だろう。
ただそんな彼女も滞在2か月、ただひたすら楽しく過ごしていたわけではない。セネガル人とのコミュニケーションに悩み、取り立てて何もしていない日々に悩み、セネガル社会の日本人との付き合いに悩んだりしている。もちろん、腹は下すし、嘔吐はするし、部屋の水はでないし。色々、困難も降りかかる。それらが赤裸々に明かされているのが本書の面白さでもあるのだ。そうまさに、彼女の目を通して、私たちもセネガルのその滞在を体験できるのだ。
「言葉を生業としている私が、言葉じゃないんだ、ということを学んだのはとても大きいと思います。短い単語、平凡な言葉のなんと雄弁なことか。そして、長い握手の沈黙や、不細工な男がぱっと笑顔を見せた時の輝き・・・・・・」
異国の地を旅するというこはそういうことなんだろう。つまり、言葉を超えた、人と人どおしの交わり、もっと原始的なもの。それを得られる私たちに残されたあまり多くはない方法の一つが旅することなのだと、そう思った。